『小説家をめぐる冒険』『実存主義の小説』

 僕は小説を書いていた。実存主義の雑誌に投稿するための小説をだ。ジャズを聴きながら。一文書いてかなりねちねちと推敲する。書く時間は早朝の5時と決まっている。アメリカのマンハッタンに行ったことがあるが、あそこはよい街だ。街全体があたたかい色にそまっている。僕が書く小説は無駄なものをぼんぼんととばしていって「飴」のような文章にしていく。そのことによって小説の世界観が生々しくなるとおもうからだ。日本語と外国語との近接性についても小説によって書いていきたい。日本語から外国語へと翻訳するのでは大きな違いがあるためだ。翻訳には人間の想像力をフルに使わなくてはならない。
 僕自身は外国語学習が苦手で、なかなか長続きすることはない。英語も古典ギリシャ語もロシア語もドイツ語も毎日は勉強してはいない。それはきっと学校で習ってきた「直訳主義」のためだろろうか、とにらんでいる。しかし、はじめは直訳ありきなので「意訳がどうのこうの」とは言っていられない。友人のクラタカソウスキは語学の天才だった。現在、クラタカソウスキは英文とロシア語の翻訳業をやっているが、僕は日本語の詩と小説しか書くことができない。
 クラタカソウスキはなかなか頭がよく、チェスの名人だった。二、三手読むよりも大局観をもって勝負に挑んでいたため僕との対局ではまったく歯がたたなかった。それでいて、小さな局面も見逃すことがなかったのだった。クラタカソウスキはロシアの文学作品の翻訳にとりかかっていた。主人公は名チェスプレイヤーで記憶をなくした男だった。過去のことが思い出せず、瞬間、瞬間のことはよく記憶しているサヴァン症候群にとりつかれていた。
 横文字のキリル文字を縦書きの日本語に直していく作業はクラタカソウスキにとってはイマジネーションあふれる仕事だった。時間があれば、クラタカソウスキは僕のアパートにやって来て「物書き三昧」についてあれこれと語りあった。クラタカソウスキはクラシック音楽についても深い造詣をもっていた。特にバッハやブラームスが好きで、よくバッハの「無伴奏ソナタとパルティータ」や「ブラームス交響曲第1番」を僕のアパートでいっしょに聴いたりした。