『小説家をめぐる冒険』『私小説』

 「私小説」を僕は書いている。自己の内面をさらけ出す小説だ。僕の親友であるKは音楽が好きでよくブラームス交響曲第4番を聴きこんでいた。「私小説」を書くにはかなりのエネルギーがいる。登場人物は少ない。「世界があって私がある小説」だからだ。よくカフカの小説を読んでその書き方を「模倣」している。たいてい書く時間は夜の2時間と早朝の2時間と決まっていた。早朝に書くときは濃いインスタントコーヒーをいれて飲んだ。
 Kには沢山の親戚がいた。一族は石油会社を経営しており、かなりの規模だった。Kはドイツ語とチェコ語で詩を書いており、まずまずの結果を出していた。「時間がない」とKは僕に言っていたことがある。〆切りのプレッシャーにKは弱かった。僕の「私小説」はぎりぎりエッセイに近かった。ノートに細かく書かれた文字に編集者はとまどっていた。
 Kはある作家の人生を描いた小説を書くことに集中していた。その作家は太宰治だった。K自身の作風が太宰治に似ており、仕事はなめらかに進んでいた。いや、太宰治にひきよせられてこの仕事をはじめたのかもしれない。そのことを僕はKのアパートで聞くことができた。
 僕はKのアパートで「私小説」の未来と限界について話し合った。社会にどう「コミットメント」していくか、作家の生活があらわれるべきなのか、など様々なことを話し合ってその夜は明けた。