『小説家をめぐる冒険』『ある依頼』

 僕はロシア小説の翻訳を「ある人物」からたのまれた。ロシア小説はキリル文字でうめつくされておりなかなか進まなかった。僕は散歩に出かけることにした。僕は「僕のための小説」しか書くことができなかったし、小説の終りも書きながら考えていた。日本の冬は骨までしみてくる。ジプシー風のファッションで飾った乙女たちがこつこつと街を歩いていた。「ある人物」からはこの仕事は秘密にしておくように言われていた。ロシア小説は600枚もあってうんざりしてしまった。
 僕は定期的に精神分析家の家に行って仕事のことを話した。京都に行ったり、東京に行ったり、友人はきわめてすくないほうだった。詩人のトシオは音楽関係の仕事に就きなかなかの活躍をしていた。トシオは英語ができたが、僕はできなかった。僕は「マイナー言語」というカテゴリーでトシオによばれている古典ギリシア語とロシア語とチェコ語、それからフランス語を読んだり書いたりすることができた。トシオはイギリスやニューヨークでユダヤ教の洗礼を受けたのでユダヤ人だった。日常は英語かヘブライ語かドイツ語で話をした。
 精神分析家のムラカミ先生はベテランの精神分析家でスイスとドイツで精神分析の資格をとった。ムラカミ先生はカウチの椅子で面談をした。僕は寝椅子だと思ったが現実はそうではなかったそういうことはよくあることだ。精神分析で話題になることは「ペン」のことだった。「ペン」一本でどこまで食べていけるか、それが問題だった。僕は人間関係で悩みを抱えていたなかなか「本音」を口に出して言うことができないのだ。ムラカミ先生はことこまかにカルテに僕の発言を一音ものがさずまいと記録していった。一回のセッションで60分間、値段は自由だった。
 散歩と精神分析から終わったあとロシア語の小説を日本語に翻訳する仕事にとりかかった。大きな『露和辞典』と首っ引きで僕なりの文章で炬燵に入りながら一字、一字翻訳していった。やっと300枚書きおえることができた。するとせまいアパートをこん、こん、こんと3回ノックする音が聞こえてきた。「ある人物」だ。ノックは3回と約束していた。「小説はできたか」ロシア語をどなるように言った。「まだです、あと半分ぐらいです」笑いながら入って来たのはトシオだった。トシオがなんでこんなことになるのか理由をたずねたらムラカミ先生がロシア小説の大ファンでぜひあんたに書いてもらいたい、とのことだった。「しかし、まだ300枚しか書けてないよ」と僕が言うと「おれが残りの300枚書くよ」とトシオは言った。いつからトシオはロシア語ができるようになったのだろう。炬燵でふたりの男がむさくるしかったが、小説は『静かなるドン』によく似た小説となった。
 僕とトシオは歩きながらとりとめもない話をした。トシオはドイツ語で話した。ドイツ語を学ぶのにどれだけ苦心したか話した。僕は不思議に思った。ヘブライ語とロシア語のほうがドイツ語のほうより3倍難しいのに。トシオは片言の日本語ができるのでラジオの仕事もこなすことができた。僕はトシオと別れ別の道を歩いて行った。