『小説家をめぐる冒険』『湖の近くの家で』

 僕は美しくて静かな湖の近くに住んでいた。そのコテージには夏目漱石全集とカフカ全集が置いてあった。じっくりと読書をして「自己をみつめる」ことがしたかったためだ。僕は小説を書くことにした。1人称の小説だ。何故1人称の小説かというと、「自分の深層心理を深める」ことができるためだった。書くことは自己をすり減らすような感覚にとらわれる。深夜、机に向かってノートブックに横書きでボールペンを使って書いている。もちろん黒のボールペンだ。ひと昔前は青のボールペンをつかっていたが、社会とコミットメントするには黒のボールペンじゃなきゃいけない、ということを自覚したので、黒のボールペンで書くことにした。
 湖はとてつもなく深かった。近くにいるスイス人のクライスラーさんによれば、「静かだが昔はあそこに龍がいたこともある」と言っていたので毎日、小説を書いている時にその龍を想像しながら書いているものだった。深夜、パーコレーターのコーヒーかあるいはめんどうなときはインスタントのコーヒーを淹れて二、三杯飲むことにしている。そうしないと小説を書くことができないのだ。タバコは身体に悪いので吸わないことにしている。しかし、酒だって自分は飲まないくせに酒のことを考えると、ハード・ボイルドな気持ちになってくる。友人のトモナガ・スエヒロは有名なハード・ボイルド作家だ。『本屋が選ぶ第1位』にも選ばれたことがある。僕の本棚にもトモナガ・スエヒロ作品が何冊か置いてあって、すべて読破した。しかし、僕が書く小説にはあまり影響あたえることにはならなかった。
 家のなかにはパソコンもなければラジオもなかった。しかし、大量のCDは置いてあった。主にクラシックのCDでベートーヴェンチャイコフスキー交響曲が平積みで置いてあった。小説を書くときも、小説を読むときも音楽は欠くことができなかった。クラシックが好きで指揮法の本もあり、よく指揮の訓練をした。3年前にロシアとチェコで指揮法を学んだ時に深く交流のあったイワン・イリノフからもらった本だった。よくひとりで指揮者の形態模倣をしたり、本で指揮法を研究したりするとクラシックの奥深さ身体を通してわかってくる。そういう風にして湖の上の風は吹いていった。