『臨床哲学小説 静かな時を求めて』

 貴光は詩を書いていた。深くしみ込む詩である。書くことが作業にならないように注意しながら。貴光は本を読むことが好きであった。それは幼少期にまでさかのぼる。叔父が体操の研究者であったために“刷り込み”によって、貴光は本が好きになった。もちろん貴光自身の意志があることは否めない。
 貴光が詩を書く理由は三つある。第一は「自己の世界」をとても大切にしていること。第二に「世界」に開かれた詩を書くということである。そして、第三に詩を書くことが好きだということがあげられる。貴光にとって詩を書くことは深い静かな時間にダイブすることにほかならない。
 貴光は音楽が好きなので、音楽を聴きながら原稿を書くことが多い。そうすると行き詰ったときになにがしかのヒントをもらうことができるためだ。
 貴光には祖母がいる。祖母は認知症に罹ってしまい、おなじ物を何度も買ってきたり、おなじ事を何度も繰り返し話したりする。その時、貴光はおなじ事でもおなじようにうなづくようにしている。
 トーマス・マンの『ファウスト博士』を音読しようとおもっている。この作品の主人公のモデルはグスタフ・マーラーをモデルにしたと言われている教養小説である。貴光は何をやっても三日坊主になってしまう。本とワルツを踊ってもしばらくたつと三行半をたたきつけられてしまうのである。そうすると貴光には「世界」の雑多なけどいとおしい仕事が待っているのだ。
 貴光は哲学科に入っているが、休学している。しかし、ヘーゲル哲学が解りたいためにアレクサンドル・コジェーヴの『ヘーゲル読解入門』をボールペンで横書きのノートに横書きで筆写している。このことが後に血となり肉となるかは疑問だが、このまま継続していこうと考えている。
 もちろん、井上靖先生の『しろばんば』も「小説を書くとは何か」という哲学の命題として書き写し続けることにしたい。